HISTORY
2007年4月
時を同じくして活動を停止する2つのBANDがあった。
共に活動していたチョモ La ラテ&MOGと
リョータ&T。そして当時イギリスに音楽留学していた某スカバンドTのSを誘い
ガールズツインVoのBANDを立ち上げようという話になる。
しかしT諸事情(主に部屋掃除)により早々に脱退。
Sは15年後(極悪オヤジ計画)にむけて、今BANDはできないとのこと。
ここから一気に冬の時代に入る。長く険しいメンバー探しの期間。
MOGの相棒に相応しい♀Voさんとなかなか巡り合う事ができず
季節は春を終え、夏をも終えようとしていた。
健康だけが取柄だったはずのチョモ La ラテはこの時期4回風邪をひく。
リョータが風邪をひかないのは有名な話。上には上がいる。
そんなとき発想の転換が起こる。
「誰もいねぇならオレがやる!!」と目立ちたがりのチョモ La ラテが立ち上がる。
そして♂♀2VoのBANDとして活動することに決定し、残すはナイスギタリストとナイスドラマーとなる。
ネットのメン募なんかじゃいい出会いないよね。と言っていたのも束の間、ここでQと運命の出会い。
残すはギタリストのみとなる。弾きたいと言ってくれるギタリストさんは多数いたものの
なかなか決め兼ねていたところ、チョモ La ラテがキッズのころから敬愛し尊敬していた
CHICKEN WING FACELOCKのmaetchにラブコールを送る。2度ふられるも3度目の正直でゴールイン。
2007年末
活動を始めるも、12月の1st音源(ココロ集積所、海月)のレコーディングをもってmaetchが涙の脱退。
レコーディング直前の脱退ライブでは、曲中ギターを弾かず踊るという偉業を成し遂げ
その姿は最早神の領域とさえ噂され、今も尚メンバーの会話にかなりの頻度で出現するという。
その後の活動が危ぶまれたが、マサユキ(ex.cheepflag)と出会う。すぐに意気投合。
しかし2008年春、マサユキはビザが切れたため「サイゴノヨルハリョータクント。。」と
言い残し、祖国へ帰還。現在はコジロウ&コテツと石油を掘り当てるために放浪中だとか違うとか。
そして路頭に迷いかけていた4人だったが、チョモ La ラテと縁のあるヒカルから
これ以上ないタイミングで連絡がある。「オレの恋の話を聞いてくれないか。」まず断る。
その後あれやこれやでヒカルが加入。※MEMBER 参照
ヒカル加入後、早々にレコーディングを開始。(二つの森、RUBY BRIDGE、僕の鳥)
6月から2nd音源を引っ提げ全国に活動の場をひろげる。ヒカル初ライブは大阪ではなく島根県。何故だ。
そして着々と各地方に足跡を残し、チョモ La ワゴンへの機材の積み方も完璧になりはじめる。
6人目のメンバー萬田さん(MTR)加入。音の幅が広がる。しかしきかん坊な萬田さんに皆手を焼く。
9月には異例の早さでZEPP OSAKAに出演。会場1000人のお客さんに凄まじいインパクトを与える。
静と動、楽と悲、陰と陽、思わずココロ踊るパーティーロックサウンドから、心揺さぶるバラードまで
幅広くそして違和感なく奏であげ、そのライブは一度見ると中毒性が高い。
これまで数々の大物アーティストとの競演もはたし、
今後とも目が離せない(いろんな意味で)要注目BANDに成長している。
筆/ダイナマイト松村